窯ぐれ

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 学問と学問的素養 −伊能忠敬

<<   作成日時 : 2007/08/11 11:00   >>

トラックバック 0 / コメント 0

画像
 松本清張の評伝に「老十九年の推歩」なる作品がある。測量家、伊能忠敬に対する、語られてきたこれまでの偉人伝的人物像への懐疑、、商人として功なりしその人生後半から、一転、測地家として、勉学を始め、そのほうでも一家をなすにいたる、伊能忠敬の学問的素養とは、はたして巷間伝え聞かされた学問としての測地学だったのか、それが学問であるなら、それは、学者としての偉人伝なるものであったのだろうか、との疑念を追った評伝である。
 
 結論は、少なくとも当時の測地学が、学問の体裁をいまだ成さぬ、経験則に基ずいたものであったことをして、人生すでに半ばを過ぎし伊能忠敬たりとも、後世に残る業績をあげることが出来たというのである。幼少頃からの学問好き、学問的素養云々は、とって付けた偉人伝の定番、常なりと結論づける。
 
 好きこそもの上手なれ、、しかし、好きであったとしても上手とは限らないのではなかろうか、、としてみると、学問が好きであるとしても、学問がある、素養を兼ね備えているとは限らないことは、至極もっともなことである。松本清張は、「いくら学問好きでも、その教育を受ける機会がなければ、あるいは良書の師を得て独学研鑽の期間がなければ、学問を身につけたとはいえぬ」 とし、商才を発揮した商人たる、伊能忠敬が、はたしてどれ程の学問上手であったか、ことにその普通教育すらままならなかった幼少時代において、疑問を呈している。

 経験則に則る限りにおいて、尋常ではない回数と資金を伴った測地行脚を伊能忠敬、、その商人としての蓄えが、それらを可能にしたのだった。少なくとも、フィールド・ワークが主とされる分野の学問においては、その学問的素養云々よりも経験と資金がまず以って、そのあえて学問的業績を左右すること、今日も同様なのではなかろうか。極めて人間臭ある係わり、、組織を構成する人間関係、配下を動かす、、金、資金を集めるは、学問的素養とは、また別の親方的素養である。傾いた養家を建ち戻した商才、、商売に通ずるところである。

 そのような素養に恵まれた人物が、歴史的事業を成したことは、それはそれとして素晴らしいことであるのだが、後世も然り、またその時代の時点でも、偉人とは、そのような世俗的かかわりとは絶縁し、純粋に学問を成し遂げた人物としなければならないのだろうか。今日日、偉人伝を読む子供がいかほどあるのか、はなはだそれは心もとないのも、いまの子供心には、そんな胡散臭い内容をすでに感じているからなのだろうか。

 今日日の団塊世代ファッショの喧伝の泥濘に足を捕られない意味においても、この、伊能忠敬の後半生は参考とすべき点、少なからずあると感じたしだい。蛇足ながら、乳母日傘で、学問を与えたとしても、学問的素養のない人物は、能力、、つくづく無理であることを実証しているのが、現時点における、わが国指導者であろう。素質、、感性がないのだ。

設定テーマ

関連テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文