窯ぐれ

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help リーダーに追加 RSS 方丈、、窯と陶芸

<<   作成日時 : 2007/07/14 11:01   >>

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 東洋、、もちろん日本もそうだが、、古来から、中華思想の影響を受けずにはいられなかった東アジアの精神性のなかには、玉 (ぎょく) に対する崇拝ともよべる高貴なる憧れが存在する、、、小さきもの、愛らしいものにこそ、、そこに美、、真実の存在を認め、、反転、、広大なる宇宙と折り重ねる、、壷中居 (こちゅうのきょ)、一壷天 (いっこてん)、、あるいは、求めた美は、纏足 (てんそく) にまでいき着くのか、、、それは、東洋的合理的精神に連動する、、工芸美術における、、限りなく狭く深い、、技法追求のもの造り、、、日本における、根付をはじめとする工芸のなかに、、茶道における茶室のしつらえのなかに、、坪庭、盆栽、提灯、、、 どれもが、極小の世界、、、掌(たなごころ)、、相たいするものの手中に納まる世界、、、なればこそ、全てを嘗めまわすことの可能な世界、、宇宙にわが身を置く、、内包可能となる観念、、精神世界、、、

 こと、窯に関しては、、小さいものは日本の伝統的やきものには、不向きである、、、焼きもの、陶芸、、なによりもその造形の質的性格を決定づけるもの、、まず、焼成、、、窯とは、単なる表現手段における道具ではないこと、、日本の焼きものの特質である、、、一球入魂、、スポーツさえもが、精神世界、道 (みち) の世界に取り込まれてしまう現実、、、焼きものと、、焼成装置である窯は、意味同体なのだ、、、わたしは、焼きものをしてます、、では、あなたの窯は、、となる、、、至極当然のことのようであるが、、ほんとうに当然なのだろうか、、、そして窯は、作り手そのものでさえもある日本の伝統的焼きもの観、、、それは、道具の擬人化、、作り手はそこに自己の精神性を重ね合わせる、、、

 三位一体、、造り (いわば、作り手、、人である) - 粘土 (素材である) - 窯 (重要なる焼成、、この三角形の関係における頂点に位置する)、、この関連こそが、日本の伝統的焼きものの世界観を端的に表す構図といえる、、、焼きものをする、、イコール、窯を所有する、、となる、、、焼成こそが、最も重要な工程である、、焼成は、端的に、、上がり、、というではないか、、、 その上がりこそが、、焼きものをして、、良し悪しの判断となる、、、

 この、焼成装置としての道具は、焼きものをする者にとっての象徴であり、エンブレムでもある、、、シンボル とは、見栄え、大きさ、、大きければ大きいほどよいとなる、、、単に、それが、大きいだけで、商業的にも、対社会的、さらにもっと、制作作活動をする作家に対する印象すら、能動的反転をする、、質屋と蔵の関係になぞることができようか、、、 大きい、、富んでいる、信用がある、、、

 窯は、日本における焼きものの世界で、そのような位置付けをされていることは、また、伝統的焼きもの観によるところでもある、、、この場合、、大は小を兼ねるに由来する、、、大窯時代、、当然、、数が多ければ多いほど、焼成具合は、千差万別、、良質の品もとれることとなる、、、小さい窯では、不可能な偶然性に満ちた作品 (窯変) がとれる、、茶道的美意識の介在、、、
 
 しかし、ヨーロッパ、アメリカの陶芸家と窯の関係は、随分と異なってくる、、、先刻述べた、道具としての窯、、となる、、、焼成装置としてのそれは、、精神性をそこに求めるとか、、感情移入をすることはない、、、厳密なるもの、それが、個人的芸術性を追求するならばなおさら、、そこに存在させる理由なない、、なぜならまさに感性の赴くまま、、自らの表現行為の道具とする、、と言ったほうがよいだろう、、、日本の 「楽 (らく) 」 が、彼の地で、RAKU、、とされ、、帰化したのも大いに納得のされるところである、、、作り手にとっての個人的感性、思想性が一義であればこそ、そこに、相対する存在者、、窯、、装置は、すでに作り手に内包されたものとなるのだから、、、

 西欧における、技法を支える装置、、としての窯は、作り手との思想に関連し、、創造性をどうとらえるのかによって、かくもその存在の有様は違ってくる、、、数度のヨーロッパ訪問で感じたこと、、ヨーロッパにおいて、作家の工房を訪れて、わたしが、みたものとは、小さな窯が、、それは、日本において愛好家が使用する程度の大きさであること、、なのだ、、、では、大きな作品は、どうするのか、、数多のシンポジウム、、レジデンスに参加、、応募することで、施設の大きな窯を使用することとなる、、、現代の自己完結型の日本とは異なり、ヨーロッパやアメリカでは、窯は装置であるからにして、、集団で造り、使用する考えが普通である、、、かっての日本の大窯時代、室町から江戸にかけて、、を思い出してもらいたい、、、まさに、ヨーロッパ、アメリカにこそ、かっての日本の室町時代の備前における共同窯、、大窯(本来なるとの意味)の精神がいきているといえる、、、

 かって、イギリス、、ロンドンで、、かなり著名な陶芸家を訪ねたおりの、、住居、フラット( flat ) 、その裏庭に位置する、小さな窯と作業場、、さしずめ、、日本では、愛好家ていどのそれ、、、彼は、大きな作品を制作していないのか、、といったら、そうではない、、、上述の様に、教育機関におけるアーティスト・レジデンスなどの参加を機に、かなり大きな作品をつくる、、、むしろ、、そうした行動が、陶芸という芸術ジャンルの性格に適した、、アプライド・アートとしての、、技法に関わる共有性に対するかれら全体の認識でもある、、、技法が創造性を拘束することは、本末転倒といえるのだろう、、、

つづく

 

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