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喧伝される、ものづくり、の危うさ
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作成日時 : 2005/05/14 22:15
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喧伝される "もの造り" の底から、、連想されること、、それは、精神主義的自然趣味ではないでしょうか。生産性を要求される工業経済の現場からは、なに計んや、職人性に属す部分大きい美術工芸の世界においてもノスタルジアを含んだ喧伝がなされています。失いつつあるものそれはいつの場合でも、それが時代の必然であるにしろ、追い求めるもののようです。日本の伝統的美術工芸の世界において、その文脈文化は、きっかりとした技巧による、小奇麗に完成された作品となります。もちろん、ひろく美術の世界とて、経済そして政治に連動されることは、、、云うまでもありません。政治によって決定される場面もあるでしょう。しかし、昨今の日本社会における、あまりに現実的な、もの造り体質への再確認を求める主張からは、従来からの日本の社会構造の転換の必要性、すなはち機能不全に陥った日本社会の現況を抜け出す指針として、幾度となく云われている提言と、相反することとならないでしょうか、、たとえば、ある作家の、その作品が内在する必然性が、あるいはそうだとしても、アマゾン奥地の自然のなかで、作品展を開く作家はいないでしょう、、美術、芸術の世界とて、ひろく情報そのものなのですから、、。伝統的な芸事を始め、手仕事と云った日本においての、もの造りの伝統の根底には、拭いきれない知性への不信、とりもなおさず精神性に本質を求める遺伝子が、造り手には存在します。情報社会、知識の組み合わせが、次ぎなる世界をつくり上げるなら、、、最も産業に近しい応用美術としての工芸が、相変わらず素直に、もの造りの精神を奨励することは滑稽です。もちろん、工芸も含めて芸術、美術におけるもの造りは、第一義的には、経済の問題ではありません。あくまで、文化、それも普遍性を有する個人である表現者の問題です。ものを造るとは、内在する個人的感触によりますが、あるいは外在の反映でありますが、それが創造性への前提となるには、表現者が、いま(現在)を、どう受容するかに尽きます。ものを造ること、すなはち、創造性には必ずしも連ならないのですから、、。
上記の文章は、2004年7月24日、サイト<陶芸の樹海>作家通信に掲載したものである。いま、改めて、ブログに転載することでひろく提起したい。
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