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窯ぐれ

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は、陶芸のみならず日本の美術、芸術の社会的基盤その構造現場において、文化としてのあるべき "かたち" をもとめます。ひとがひとである為に、そこに堆積されるもの全ては、批評と評価の対象であり、自らもまたその歴史の文節を担うものであります。

羽鳥 誠 (プロフィール) 

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Greetings

2017/12/16 11:12
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素描、皮膚感覚の欠如

2017/12/16 10:44
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先月末に描いたもの。対象が大柄過ぎて、間合いが取れず、最後まで同期することなく終了。細やかなる会話の成立とは、何処かそこに皮膚感覚めいたものが存在する。それが単に皮膚の色が異なるだけのものでなく。対象から受ける霊的同期、主客未分の状態。ことごとく散らされた画帳を抱えて帰宅する。

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素描、二曲

2017/11/26 11:25
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「素描、二曲」と、題した作品。2017年10月21日に描いたものから、敢えて2点を並べたみた。片や曲線の集合で対象に迫ったもの、此方直線で掻き入ったもの。二曲の意味が理解されるだろう。場の臨場感、共有性といった存在の定着は、無数の線の重なり具合から得られる表現だろう。
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素描、変わらぬもの

2017/11/14 12:12
習作のための素描、これは、大学時代のもの。そこに技巧はない。ものの見方は変わっていない。下のものは、50年ぶりに、太平洋で描いたもの(その間、素描そのものは折に触れてやる)。技法について、人の殺傷を目的とする戦技には、必要なるそれも、日本古来の武道には不要である、その要諦からは、ものをみるという行為との共通性がわかる。対象を引きずり込んで捏ね回すという概念の愚かさ。

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Makoto Hatori Drawings
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素描、対象からの離脱

2017/11/10 11:29
クロッキーにおける臨場感の本質性、これ如何に大切であるか。リアリティなき描線、それは、木偶の写しなるに等しいものか。名庭を造る庭師は、草木を眺ること数時間、庭鋏を動かすこと数分である。対象をおのれの自我と対話させるとは、そのような時間的、空間的存在にあるということか。今週は、体調不良体調不良のため、休むことにした。これは、先週のさらに一枚である。

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素描、臨場感の欠如

2017/11/06 11:20
クロッキー、、対象と向き合う、対話をするその場の必然性、そこにおいての場所性というものは必須である。場を離れた途端その必然なる対象は存在をしないわけである、存在なきものを存在させるとは空疎なる幻影に過ぎないものとなる。それをあたかも対象を前にして一枚の紙に定着させたかのごとく、速写とは何たるか理解できない行為、状態性というものを無視、固定した屍としか捉えることのできないもの、その描線は、予習も復習もありえないということなり。

今週の一枚
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素描、今週の今週の一枚

2017/11/01 11:34
またまた、興の湧かない対象なり。市中、異形の体型をみるにつけ、その対象の持つ造形的素晴らしさに懇願したい衝動に駆られる。


Drawings by Makoto Hatori on Flickr

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