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は、陶芸のみならず日本の美術、芸術の社会的基盤その構造現場において、文化としてのあるべき "かたち" をもとめます。ひとがひとである為に、そこに堆積されるもの全ては、批評と評価の対象であり、自らもまた歴史の文節を担うものであります。

羽鳥 誠 (プロフィール) 

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フランス、スモール・アート・オブジェクト2017

2017/07/19 10:47
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フランス、ヴァロリスにおける「スモール・アート・オブジェクト2017」において、これもささやかながら、「賞10選」の一つに選ばれた。ヴァロリスとは、1946年から約10年余り、かのピカソが、この地で陶芸に熱中したことで知られている。焼き物に出会ったことは、大いにそのインスピレーションをかきたてた。ヴァロリスが伝統的に陶器の産地であることにもよろうが、ピカソ以外にも数多の美術家が滞在している。以上からしても、この度は、ささやかながらも嬉しいことである。
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ハンガリー、国際シリケイトアート・トリエンナーレ

2017/07/17 10:36
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出展作品 「非色;他者性(05-28-1)」
The exhibition of the 5th International Triennial of Silicate Arts will be held from 3 September to 30 September 2017 in the Kecskemét Cultural and Conference Centre.
ハンガリーの国際陶芸スタジオは、国際的に関心のある陶芸家にとっては、一度は滞在してみたいスタジオであろう。わたしも10数年前、そこから招待を受け、ひと月のワークショップを経験した。その折の作品の出来栄に酷く気に病みつつ、そこを去ったのが後々も悔やまれることとなった。そんなことでもなかろうが、以来、主催するこの国際シリケイト・アート展には、度々の応募を重ねてきた。シリケイトは、文字通り「珪酸」であるが、展覧会の中身は、陶芸(粘土・磁器)、ガラス、コンクリートによる造形作品のトリエンナーレである。東欧のデザインの洗練さ、工芸の素晴しさは言うまでもないことだが、この展覧会の審査の顔ぶれをみても、所謂、ヨーロッパを外れたところに焦点を向けてるのがわかる。であるからそこに集まる作品も東欧を主体とした実直に興をひくものが多くなる。伝統的に裏付けされたところに、ひどく技法的なものを超えて、思弁的抽象の面白さを見いだすことが出来る。味わい深い、玄人筋の展覧会といったところか。
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素描、今週の一枚

2017/07/16 11:10
取っ掛かりに苦労する。鉄筋には、異形鉄筋とよばれる建築用のものがある。文字通りそれは、セメントとの絡まり具合に相性よく凹凸状の異形である。絡まりがなければ何事も、その運用は滑ってしまう。それが良きにつけ悪しきにつけ。対象の入場の瞬間、わたしの心の内は、萎えるか、興が沸くかのどちらかである。これも苦労して立ち上がりを見極めた対象である。微細な異形を探索したと言うことか。その運筆は踊っていない。

Drawings by Makoto Hatori

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素描、今週の一枚

2017/07/09 11:49
対象から眼を離さない、と聞くと日常的動作のそれと関連づけてしまうかもしれない。我々の日常的ものをみるその自我の働きとは、甚だ曖昧である。大抵のそれは、他我なる立ち上がりに乏しく無数のそれらを抑圧することで、平穏として次なる所作に移行する。でなければ、その神経系統の健全なる保持は困難なものとなってしまう。だが、美的行為におけるそれは違う。溢れんばかりの他我なるものの確認作業を、リズムあるものとして捉えること、それが、美的行為というものである。いっぽんの線はその表れでなければならない。

Drawings by Makoto Hatori

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素描、今週の一枚 - 曲(くせ)を排除する

2017/07/02 11:35
ボリュームがなく、取っ掛かりに苦労する。それは、他我なる立ち上がりの時間的超過となり、必然的にきっ先の停滞を呼び、そのリズムある運用を妨げる。おまけに多弁なる対象(モデル)ときているから、なお更それは、イライラを募らせる。自らを冷静にと、諭しつつ対峙することとなった。クロッキーとは、削ぎ落としの美であろう。両義的にも、それは粉飾を纏うこととあっては、絶対にあってはならない。曲をつけて舞うことを突き放すことで、捉えるものもあろうと言うことである。

Drawings by Makoto Hatori

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素描、今週の一枚

2017/06/28 11:31
今週の一枚はこれ、と言っても、一枚のみを提出するのは、何時もながら難しい。自分のテーマ沿ったものなのか、数ある中の出来栄えであるのか、ポーズの面白味にするか、悩むところである。この一枚は、対象がつくりあげる起伏、思わぬ処にできる弛みに芯先が誘われたと言うべきか。立ち会うものの確認作業が臨場感となって表現されているならば成功であろう。

Drawings by Makoto Hatori

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国際陶芸ビエンナーレ

2017/06/28 09:57
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The 8th Gyenggi International ceramic Biennale 2017, International Competition GICB 2015
韓国国際陶芸展は、長たらしいが、これが正式の名称である。陶芸の世界的コンペティションは、現在4つあるとされる。わが日本もあるが、日本の常として、「伝統」の横槍が入り込み、それは根強く権威的である。得てしてそうではあるが、それはまた芸能人的軽さのフットワークに縁どられている。それが、解放された存在であるかの如くに。
写真の右端が、出展した作品である。フロアーに設置する方も考えたが、個体が小さい集合体であるので、テーブルとした。架けるか、立てかけるか、吊るすか、置くか、は単純な選択とは言えない。わたしの作品、この展示が、作品の周囲を回路出来れば申し分のないところである。生け花ではないのであれば。
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